あーだこうだ。

自分のことをやる。
本当のことを言えばそれだけなのだ。

けれども世の中を見渡してみれば
他人のことをとやかく言ってるだけ、
そんなやつばかり目立つ。
そんなに暇なんだろうか。

熊坂にはそんな暇はない。
なにしろ今生を賭けている。

あーだこうだ言う暇はない。

動け。熊坂。

この善き日に。

今日も生きている。

飛び込むか、飛び込まないか。そりゃ飛び込むだろうよ。

新しいものが押し寄せてきている。
すべての事柄は、このように流れていて
非情にも流れ続ける。

流されてはだめだ。
突き進むのだ。
切り拓く。

十分な要件は既にそなえた。
突き進むのだ。
今必要なものは全て持っている。
そのように生きてきただろう。

不安だ?
安心しろ、不安でいい。
そんなもん蹴とばせ。

何処にいたって宇宙だ。

高らかに笑え。
どっかーんと生きてやれ。

進めーーーー!
熊坂!

わはははははは!

純粋てこと

純粋という言葉を僕は使う。

純粋という言葉は誤解されていると思う。
綺麗で、無垢で、透明、無色、無臭、全く正しく、きらびやかに明るく、
悪態もつかず、怒らず、ドコまでも素直で、圧倒的に無罪。
こんな風に捉えている人が多いと思う。

僕はそんな意味では使わない。
むしろ全てが逆だ。

醜く、不純で、邪念にまみれ、色は混じり過ぎて真黒に見え、臭いは鼻につく、ドコまでも暗く、
自らの不正を知っていて、条件もなく怒り、絶望的に有罪。

最近流行の「負のエネルギー」とか言われるもの全てが含まれていなければ、
人間の本当の純粋などあり得ない。

純粋を貫くならば、心の動きを直視しなければならない。
汚いものを、より深く知らなければイケナイ。
それを誤摩化してはならない。

ゆえに純粋というのは混沌としている。

最近の、「怒り」は悪いエネルギーという風潮に、我慢ができない。
一方で、狭い条件の中だけで、怒りを矮小に発散しているのも、情けない。

怒るって言うのは、生きてくのに必要な感情だ。
怒りは条件も無くソコにあるものだと思う。
人間の大きさは怒りの大きさで測れるものだと思う。

矮小なモノに怒る事勿れ、俺。

ひまなのか?

お前は暇なのか?

そうやって他人をとやかく
ぐぢぐぢ言っている暇など無いはずだ。

自分のことを我がでやれ。

おい
お前はそんなに暇なのか?

熊坂義人よ。

やめてはいけない

人間として生きている以上は
感情を殺してはいけない。
それと同時に
論理的であろうとしつづけなければならない。

その感情がどのようにして身の内に産まれたのか。
それだけがワタシを紐解く重要なヒントだ。

木を倒す

木を倒した。
払った枝はまだ青々と葉を茂らせている。
気付いているんだろうか。
倒されたことに。

僕はいづれ亡くなるワケだが、
そのとき、自分の死に気がつけるんだろうか。

死なないのかもしれない。

強度

強烈に疑う。
その強度に応じて信じる力の深さが決まる。

誰かと俺

誰かを信じるということは
そのまま
自分を信じるということと
同じ意味になる。

繋がっている

本来、全ての事柄は地続きで繋がっているのだから、
繋がりを強調する目的以外で線を引いたんでは、
虚しくなるばかりだろう、と思う。

一人称

僕はこうだ、とだけ言う。
近しい人にこそ。

云いづらいことをこそ。

そうしなければ、僕は本当には笑えない。

それをつぶさに見て行くと

根っこのところが極端なので、まずまっすぐ極論まで至ってしまう。
つぶさにみていけば、自分の責任以外は知らぬでよろしい。
それを貫くというのは本当に大変だ。
そうやって生きれば、他人の中の自分の傷に敏感になって行くからだ。

苦しい。

しかし、
それで繋がるのだから、嬉しいことなのだけど。

信用する

自分を肯定的に受け入れることと
他人を信じることは
同じことだ。

とことんまで自分の深さを知るために、
どこまでも否定してゆけ。

あんがいあっさり受け入れられたりしてな。

男性の強度

男なんてものは、
ナニによって
どれくらい
ささえられているか、
これに尽きる。

女性の

この間、ある女性二人とお酒を飲んだ。

そのうちの一人というのが、
いつも笑顔でとてつもない明るさを持っていて、
僕は何度となく彼女の強さに助けられている。

その女性が僕の前で泣いた。
こんなふうに僕に涙をみせるのは初めての出来事だったからとても動揺してしまった。
その理由なんかここで言うのは野暮だから書かないけれど、
もしも僕がその立場だったら如何だろうなんて深刻に考えた。
過去というのは時に残酷だ。
そのときナニか言葉に出したら薄っぺらくなってしまいそうで、
なんの言葉もかけられなかった。

女性に計り知れないつよさを感じる。
「男はかよわい女性を守るものだ」なんてよくいうが
本当のところ、
女性の腹の底に持っているふてぶてしいくらいの強烈な強さを見出して、
それを大きく拓かせていくのが、
それが男性の役目ナンじゃないかと、

ときどき、そう思う。

笑ってしまうほどに忘れてしまう

僕の記憶というのは自分でも呆れるくらいいい加減に出来ていて
本当に一週間前のことですら頭の中からキレイサッパリ無くなっていることがある。

過去の記憶というのはどうしてこうなんだろうかなどと考えてみれば、
なるほど今の自分になにか問題を投げかけてくる事柄以外はオモシロイほど
すっぽり忘れてしまっている。

この作文集だって、時々読み返してみると
俺ってばこんなことを書いていたっけ、というモノが多い。
本当に俺が書いたのか、とアヤブムことすらある。

この瞬間に問題を投げかけてくるような事柄を
その時に昇華してしまえば、その詳細はもう記憶に残らない。
忘却の彼方。

今しか生きられないというのは、
朗らかではあるが、
寂しいことでもある。

ああ、そうだ。

感動という傷跡だけは
一生消えないのかもしれない。

それは救いだな。

守らない

大切なものは沢山ある。

が、それを守ろうとは思わない。
どんどん捨てて行く。
身軽に行く。

僕というのは、
本当に笑ってしまうほど忘れっぽいのだ。

ただいつでも僕の精神に確固としてあるのは
その瞬間、俺が誰で、如何なのか。
それをごまかさない。

それだけだな。

異質に吸い寄せられろ

相性というのとは、まったく別の話だとぼくは思うのだけれど、
世間で相性についてこんな風に語られたりしている。
例えば、スキなものが同じヒトが良い。とか。
例えば、嫌いな物が一緒だと長く一緒にいられる。とか。
いわゆる恋愛関係の云々なりナンナリをそういう尺度でもって
語られている場所にデクワすと妙に腹が立ってしまう。

僕は、どちらかといえば好きな物も嫌いな事も全然マッタク違う人に惹かれる。
同質の物が集まったってどこへも行けない袋小路に行き詰まるんじゃないかと思う。
「これ、いいよね。」
「うんうん、これいい。」
なんて具合の会話ばかりでは僕はすぐに飽きてしまうし、
片側から物事を深めていくのなんて独りでも出来る。
なにより人生に劇的な発展が無い。

生命は異質を求めている筈だ。
極端に質が違う物同士が惹かれ合い、
それが溶け合わされることで、命の幅がはじめて広がる。
本能はそれを十分に知っている。
まったく違う他人だからこそ惹かれる。
そのとき相性なんて、そんなもの気にするこたぁない。

あれが違う、コレが気に食わない、
あーだ、こーだ、ぐちぐち言ってしまうのは、
おそらくジョーシキだとか、シャカイツーネンだとか、
そういった自分からカケハナレタ外側の尺度に頼んで
自分の醜い姿を見せまいとする弱さなんだろう。
そうやって同質の人間ばかりでできあがった
異質な他人を寄せ付けないような小さな単位では
より大きな世界は作り上げられないし、
つまるところ世界全部を背負う事も出来ないと思う。

人間は他人によってしか救われないという
とても素敵で悲しい性を持っている。
違う、ということにどれくらいの救いがあるか。
同じ、ということでは絶対に救えない部分がどれほど大きいか。

異質な他人のいる世界をどれだけ信じられるのか。
僕はそれに賭ける。
だから僕はとことん誰からも異質でありたい。
この世の中に溢れるたくさんの異質を
自分の身の内に発見していく。

うん。
そうだ。

行け!
積極的に異質、熊坂。

嫌われるなら、それで結構。

大切なもの

大事にしてるモノには気をつけなけりゃならん。
ソイツが縛ってくる、みたいな脅迫観念にかられる事がある。
それははじめは微細なチリのようで、他愛も無く見過ごせる。
けど、それを見過ごしてはイケナイ。
いずれ大事なものが見えなくなって行く。
そんな時は残酷に大事だってことを投げ捨てないとイケナイ。
僕がミュージシャンを辞めたのもそんなとこだ。
大事な事柄ほど、自分から引きはがして、
この身の内側を見つめなおさなければ、
大切にしていたはずのモノに
己の精神が喰い尽くされてしまう。
それはかならず悲劇的な様相を帯びる。

大事なモノほど、外へ放り投げる。
後生大事に抱きかかえてはいけない。
思い切って投げ捨てる。
矛盾するが、
それが大切にするという事になるのかもしれない。

いや、本当のところは
よけいなコトは考えず、
ただただ大切だと想い
それを体いっぱいに感じるだけで良いのだろう。

これがなかなか難しい事なんだな。

おれはやってるよ。

前に進む

生きるなんてのは迷路をさまよっているみたいなところがあって
どうしたって迷うモノだ。
右にしようか、左にしようか、
あの分かれ道まで引き返そうか、
まっすぐ行こうか。
熟慮が必要なとき、そこで押し黙って考えた方が良い。
けれど、迷う時間というのは短い方が良い。
決断の時はいずれにしろやってくるのだ。
日々は流れて行く。

今こそ前に進む時だ。
この瞬間だ。

後悔があるのならば、
それはきっと今この時が充実していないからだ。
過去に起きた事は変わらないが、
今行動する事で、
その事件の意味ってのは
がらりと変わったりするもんだ。

悔しがるのはとても良い事だが、
昔の話にウジウジくよくよする姿勢では何も動かない。
今から、この瞬間から本当の問題にぶちあたって行くかどうか、
それを決断するだけで後悔の念なんかに縛られる事は無いのだ。

今からソイツに体当たりするかどうかを
決断するだけなんだぜ。

どーーーーん。

僕は後悔しない。
進み続けるからだ。