大福 - daifuku -
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大福をあまり食べない、のだ。

HONZI 2
2018.1.16

「HONZIさんて今どこにいるんですか?」

と、くったくなく聞かれることがある。

いまだに。

 

みっち。が毎年イベントを企画してくれるのでこうやってHONZIのことを綴れるのはうれしいことだ。

HONZIと一緒にバンドをやっていられた時期というのは社会の空気ももう少し呑気で、

僕はと言えばそのうえさらに輪をかけていっそう呑気に生きていた。

「くまちゃんの曲、好きやわ。」

こう言われたのがどんな状況でだったかうまく思い出せないのだけれど、

その時は「ふーん、そうなんだー」くらいの。

そんなことよりボードゲームしようぜ、カルカソンヌ。くらいの。

まったく呑気にもほどがある。

 

HONZIがいなくなってから結構曲作ったんだぜ。

HONZIだったらどう弾くかしらん。

今になって思ってもなあ。

 

HONZIとは「福」というバンドをやっていた。

HONZI、熊坂、スパン子、イデホフで4人のメンバーで、最高だった。

 

「そうだ退院してきたら復帰イベントやろう。「大福」とか言って豪華ゲストたくさん呼んで。」

人知れずそう思っていた。

 

あー、叶わなかったなあ。

しかたないから「大福」って名前で

お別れイベントみたいなライブを続けてるわ、おれったら。

 

 

いまだに

「HONZIさんて今どこにいるんですか?」

と、くったくなく聞かれることがある。

その訃報を知らされなかった人はどれくらいいるんだろう。

 

とにかくすげーバイオリン。

不世出。

これHONZIのことだ。

2017.8.20

我が足もまだ道半ば

目指すはあの旗

という

旗を立てなければならぬ

 

あの旗を目指すのだ

 

目的なんてちっぽけなものではなく

人類の軌跡ほどの壮大さで

そういうスケールで語ろう

 

そこでようやくコツが活きる

 

壮大な旗を

 

最後の最後
2017.2.9

最終的に誰かのせいにできてしまうようなことなど、虚しさを募らせるばかりだ。

そんなモノを僕は生き甲斐とは呼ばない。

 

安心しちゃってる俺へ
2017.2.1

疑え、見えてないものはまだまだある。

いわせてもらうと、俺に返ってくる。
2017.1.23

当事者以外があーだこーだいうからおかしなことになる。

なにその上から目線。

かんけーねーじゃん、おまえに。

ひまなの?

 

という、僕とは関係ない事柄について思ってしまう熊坂は暇なのか!?

おい、急げ!熊坂!

わはははは。

あーだこうだ。
2016.3.15

自分のことをやる。
本当のことを言えばそれだけなのだ。

けれども世の中を見渡してみれば
他人のことをとやかく言ってるだけ、
そんなやつばかり目立つ。
そんなに暇なんだろうか。

熊坂にはそんな暇はない。
なにしろ今生を賭けている。

あーだこうだ言う暇はない。

動け。熊坂。

純粋てこと
2015.7.22

純粋という言葉を僕は使う。

純粋という言葉は誤解されていると思う。
綺麗で、無垢で、透明、無色、無臭、全く正しく、きらびやかに明るく、
悪態もつかず、怒らず、ドコまでも素直で、圧倒的に無罪。
こんな風に捉えている人が多いと思う。

僕はそんな意味では使わない。
むしろ全てが逆だ。

醜く、不純で、邪念にまみれ、色は混じり過ぎて真黒に見え、臭いは鼻につく、ドコまでも暗く、
自らの不正を知っていて、条件もなく怒り、絶望的に有罪。

最近流行の「負のエネルギー」とか言われるもの全てが含まれていなければ、
人間の本当の純粋などあり得ない。

純粋を貫くならば、心の動きを直視しなければならない。
汚いものを、より深く知らなければイケナイ。
それを誤摩化してはならない。

ゆえに純粋というのは混沌としている。

最近の、「怒り」は悪いエネルギーという風潮に、我慢ができない。
一方で、狭い条件の中だけで、怒りを矮小に発散しているのも、情けない。

怒るって言うのは、生きてくのに必要な感情だ。
怒りは条件も無くソコにあるものだと思う。
人間の大きさは怒りの大きさで測れるものだと思う。

矮小なモノに怒る事勿れ、俺。

ひまなのか?
2015.6.1

お前は暇なのか?

そうやって他人をとやかく
ぐぢぐぢ言っている暇など無いはずだ。

自分のことを我がでやれ。

おい
お前はそんなに暇なのか?

熊坂義人よ。

やめてはいけない
2015.5.20

人間として生きている以上は
感情を殺してはいけない。
それと同時に
論理的であろうとしつづけなければならない。

その感情がどのようにして身の内に産まれたのか。
それだけがワタシを紐解く重要なヒントだ。

木を倒す
2015.5.13

木を倒した。
払った枝はまだ青々と葉を茂らせている。
気付いているんだろうか。
倒されたことに。

僕はいづれ亡くなるワケだが、
そのとき、自分の死に気がつけるんだろうか。

死なないのかもしれない。

強度
2015.4.30

強烈に疑う。
その強度に応じて信じる力の深さが決まる。

誰かと俺
2015.4.30

誰かを信じるということは
そのまま
自分を信じるということと
同じ意味になる。

繋がっている
2015.4.28

本来、全ての事柄は地続きで繋がっているのだから、
繋がりを強調する目的以外で線を引いたんでは、
虚しくなるばかりだろう、と思う。

一人称
2015.4.25

僕はこうだ、とだけ言う。
近しい人にこそ。

云いづらいことをこそ。

そうしなければ、僕は本当には笑えない。

それをつぶさに見て行くと
2015.4.24

根っこのところが極端なので、まずまっすぐ極論まで至ってしまう。
つぶさにみていけば、自分の責任以外は知らぬでよろしい。
それを貫くというのは本当に大変だ。
そうやって生きれば、他人の中の自分の傷に敏感になって行くからだ。

苦しい。

しかし、
それで繋がるのだから、嬉しいことなのだけど。

男性の強度
2015.4.21

男なんてものは、
ナニによって
どれくらい
ささえられているか、
これに尽きる。

女性の
2015.4.13

この間、ある女性二人とお酒を飲んだ。

そのうちの一人というのが、
いつも笑顔でとてつもない明るさを持っていて、
僕は何度となく彼女の強さに助けられている。

その女性が僕の前で泣いた。
こんなふうに僕に涙をみせるのは初めての出来事だったからとても動揺してしまった。
その理由なんかここで言うのは野暮だから書かないけれど、
もしも僕がその立場だったら如何だろうなんて深刻に考えた。
過去というのは時に残酷だ。
そのときナニか言葉に出したら薄っぺらくなってしまいそうで、
なんの言葉もかけられなかった。

女性に計り知れないつよさを感じる。
「男はかよわい女性を守るものだ」なんてよくいうが
本当のところ、
女性の腹の底に持っているふてぶてしいくらいの強烈な強さを見出して、
それを大きく拓かせていくのが、
それが男性の役目ナンじゃないかと、

ときどき、そう思う。

笑ってしまうほどに忘れてしまう
2015.3.21

僕の記憶というのは自分でも呆れるくらいいい加減に出来ていて
本当に一週間前のことですら頭の中からキレイサッパリ無くなっていることがある。

過去の記憶というのはどうしてこうなんだろうかなどと考えてみれば、
なるほど今の自分になにか問題を投げかけてくる事柄以外はオモシロイほど
すっぽり忘れてしまっている。

この作文集だって、時々読み返してみると
俺ってばこんなことを書いていたっけ、というモノが多い。
本当に俺が書いたのか、とアヤブムことすらある。

この瞬間に問題を投げかけてくるような事柄を
その時に昇華してしまえば、その詳細はもう記憶に残らない。
忘却の彼方。

今しか生きられないというのは、
朗らかではあるが、
寂しいことでもある。

ああ、そうだ。

感動という傷跡だけは
一生消えないのかもしれない。

それは救いだな。

守らない
2015.3.20

大切なものは沢山ある。

が、それを守ろうとは思わない。
どんどん捨てて行く。
身軽に行く。

僕というのは、
本当に笑ってしまうほど忘れっぽいのだ。

ただいつでも僕の精神に確固としてあるのは
その瞬間、俺が誰で、如何なのか。
それをごまかさない。

それだけだな。