大福 - daifuku -
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昔話

本当に美しいもの
2015.2.20

本当に美しいものというのは
実はその辺に転がっている。

なにかとてつもない悲劇が、あるいは感動が、
この身に降り掛かったときにだけ、
初めて眼の前に現れてくれる。
そういうモノだ。

HONZIが亡くなった時がそうだった。
HONZIの家に行く道すがら、
いつもの坂道を上がっていく時、
彼岸花が咲いていて、
コジンマリとした昔ながらの平屋群、
バカみたいな快晴をちょっとばかり恨んだりして、
本当に美しい場所だと思えた。

体と心は一体だ。
時に精神が充実していなければ、
本当に美しいモノとは出会えないようにできている。

人間の
これは
いったいなんなんだ。

くそったれ。

2015.1.31

犬猫にとことん興味が無い。
そんな僕にもこんな思い出がある。

父親が亡くなって1年くらい経った頃だったろうか。

当時我が家で飼っていた猫がいた。
普段から僕はソイツに対して何の興味もなく過ごす。
そんななのに猫の方は、けっこう僕にすり寄ってきたりしたもんだ。

そのとき猫は僕の姿を見つけると立ち止まり、
こちらをじっと見て動かない。

「ああ、親父だ。」

なぜだかは分からないけれど直感的に
そう思った。
しばらく部屋に二人きりで動きもせず
おたがい睨むようにそのようにしていた。

静かだった。

こういう情感のもの。

アレルギー体質だが
2014.3.11
僕はかなりの程度のアレルギー持ちだ。
物心ついた頃には鼻は年中グズグズでクシャミばかりしていた。この体質は父親譲りで、僕の父親の記憶と言え
ば「クシャミの音」と「鼻のすすり方」「極度の近眼」「変な絵」なんだけれど、その話をすると随分と脱線し
て帰って来られなくなってしまうからここでは書かない。書くようなタイミングがやって来たら書こう。
で、鼻炎。僕は自分の体について意識を集中できないクセがあって、よっぽど悪くなるまで自分で気付けない。
30過ぎまで自分の鼻炎は正常な状態だと思っていたフシがある。鼻炎の他に喘息も持っているのだけれど、こ
ちらは死ぬ病気だ。今までの人生で2回ほど「このまま死ぬかもしれない」という発作に見舞われたことがある。
その2回目の発作のときにようやく僕のアレルギー体質について本気で考えてみたのだった。あれは32歳だったか。
アレルギー体質とはどういうものか、僕なりに勉強してその実態を自分流に掴んだ。僕なりの見解をわかりやすく
言えば「身体が守りに偏りぎみな体質」だ。だからそれをどうにか「攻撃的」にするというのが僕の「対アレルギ
ー体質の対策」だった。体が入れ替わるのに3ヶ月かかると言うから、まず食べるものを変えた。体を緩めるもの、
冷やすものを絶対に口にしないと決めた。元来僕は根が極端だからこのストイックな戦いは僕の全勝だった。砂糖、
砂糖の入ったものは一切食べなかったし、お酒、牛、豚もエキスでさえ口にしなかった。乳製品も食べなかった。
果物についてもよく分からなかったので殆ど食べなかった。油っぽいものも控えた。つまりコンビニ食は勿論、外
食も全然しなかった。酢飯に砂糖が使われるからと寿司なんかも食わなかった、っていうか寿司なんかモトモト滅
多に食わねぇよな。
そういう極端に禁欲的な戦いの影響はあっという間に身体に還って来た。
30年という歳月のその殆ど全ての時間に置いて僕に寄り添って絶対に離れなかった「鼻水」が、全くでなくなっ
たのは1週間くらい経過したときだった。その時にこの鼻炎がもたらしていたものをはっきりと意識したのだ。
鼻炎。
そのとき、視界はぼんやりとして、頭の回転はニブく、いつでも眠い。
僕はその時までの30年間、考える力のその殆どを眠らせたままぼんやりとした視界の中で過ごしてきていたのだ。
その鼻炎が消え去った時の感動を今でも覚えている。すべてのものが真新しく、頭脳は明晰にとは言わないが驚く
ような回転速度、そして眠らない身体。この頃僕の日々の平均睡眠時間は3〜4時間だったと思う。起きている間は
ずっと考えていた。
そうして、僕は泣きながら音楽家を辞め、大福を始めた。大福を始めたのだ。

今日は懐かしい鼻炎の症状が出ている。
が、作文していたら楽になって来た。

今ぼくは、大福というバンドを、いくつか組もうと思っている。