大福 - daifuku -
熊坂義人は普段あまり大福をたべない、のだ
社会的?
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どうしようもないこと
2017.1.4 Wed

昨日だか、都会に行った。

そこには忙し気に動き回る人たちがたくさんいたけれど、なんとも頼りなさげに目にうつった。

いわゆる里山と言われるようなこの場所へ越してきてから5年ほどたったけれど、

ここでは本当にどうしようもないことが起きる。

 

春の突風は馬鹿にできないし、去年の秋の長雨だって稲刈りは遅れるし、ちょっと前には熊が町に多数降りてくる事態。

農作物はサルにやられるし、雪がなければ除雪の人達は食いっぱぐれる。

本当にどうしようもない。

そんなわけでなのかこの辺の人の中に「おまえのせいだ!」といって糾弾しつくすみたいな雰囲気がほとんどない。

誰かのせいにして気分が清々してもはっきり言って何にもならないことを知っているのか、あるいはそんな暇がないのか。

山があるから仕方がない。

雪が降るから仕方ない。

この辺のおっちゃんたちは強い。し、触れてみて本当に面白い。

さりとて面倒くさくもある。

けれど実体のあるやり取りはあったかいもんだ。

きっちりと傷をつけてくる。

傷を作らないと大きくなれないなんて思っている僕にとってはありがたい。

 

で、振り返って住み慣れていたはずの都会というやつを眺めてみると、

全てが人間の手で設計されて、そのシステムの範疇で回っているから、

どこかに不具合が生じればそれはシステムの欠陥ということになり対策を練りシステムを作る。

加速度的にどんどんとシステマチックな変貌。

もちろん超便利だし嬉しいことも刺激的なこともたくさんあるから、やっぱり素敵だとは思うけれど、

人間の小ささを助長しているようにも見える。

全ての人に個人の範疇が与えられていて、なるべくストレスなく尊重という名の無関心で、

あるいは隠された好奇心にさらされながら、スーパーで買ってきた食材を調理して食べる。

範疇を超えればシステムがうまく回らないことを直感しているんだろう。

動きが小さい。

全ては止まっていて、人間の手で動かし構築しそこに暮らす。

僕は世界中の全てのものが勝手に目まぐるしく動き回るものだと思っているので、

都会のあの雰囲気には懐かしさと一緒に味気無さも感じる。

里山の面倒くささと

都会の味気無さ。

どっちが偉いという話ではなくて、

どっちもあって人間なんじゃないかな。と思うのだ。

 

まあ、僕にはこちらが性に合っているようだ。

 

だけれども、

そこに留まっているものはない。

本当は全てが勝手に動き回っている。

これは何処であろうとも同じだ。

と思う。