男女
男なんてものは隕石みたいなものだと思っている。 ある日突然、猛烈な勢いで飛び込んできて、爆発して消滅する。 飛び込まれた方はたまったもんではないかもしれないが、偶然と必然の間にある現象なので仕方がない。 消滅するなどとカンタンに書いてしまったが、潔く消滅できないときの惨めな気分はどんな晴天も曇天に みえるような暗澹たるモノで、さながら現実に生きた心地がしない。「しかし、生きた心地がしないとき こそ現実を生きているのだ」などと言い聞かせて寝床から起きたりする。 生活はともあれ、そんな隕石みたいな男性が女性を女性として世界に引立たせる存在であることも確かだ。 だいたい女性的な女性しかいない空間のそのハシタナさは見るにも聞くにも堪えない。 男が一人でもいると態度が変わる女性の話などもちらほら聞いたりする。 いったいなんで女性はああなんだろうと興味が湧く部分でもあるのだが。 何がどうであれ、男性と女性がなければ世界は完成しないと思う。 男性と、女性とを分けて考える。 例えばもしも同一性だけでできているのならば合体する意味がないじゃないか。 本当に人間は両性をその精神に宿していると思う。そのどちらをも自分の中からつかみ取ろうとするなら ば、極端に男性的男性を押し出していくのが僕の唯一の方法だ。全くの反対側の極と合一しようとする。 できるか、できないかではない。「しようとする」を決意するのだ。結果、できないのであれば泣いて悔 しがるより他にしかたがないが、それでも自分の立ち方を崩さなかったことにだけは胸を張れる。 消滅が負けなのだとしたらどのみち負け戦だが、 一方の極端からもう一方の極端を眺め返したその幅が人間の幅というものだ。